2015年06月15日
歌い継がれる〈大塚 博堂〉
高倉健もファンだったと言うシンガーソングライター「大塚 博堂」。
1944年3月生まれで〈愛を唄う吟遊詩人〉として活躍していたが、
1981年に脳内出血で急逝、37歳だった。

▲顔に似ずロマンチスト?大塚 博堂さん
出身は我が第2の故郷、大分県別府市。
高校が大分県立芸術緑丘高等学校、東洋音楽大学 声楽科を中退。
芸術緑丘学校はオイラの出身大学の付属高校で、
出身者には懐かしいバリトン歌手の立川清登はじめ
元西鉄のピッチャー稲尾和久・スター歌手にしきのあきら、
デザイナー・作家・・俳優・演出家と多種多才なリリー・フランキー等がいる。

▲昔よくTVで歌っていた歌手立川清登さん
大塚 博堂の代表曲として、デビュー曲「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」
「過ぎ去りし想い出は」「季節の中に埋もれて」「哀しみ通せんぼ」
布施明も歌い競作になった名曲「めぐり逢い紡いで」、
高倉健も好きな「旅でもしようか」等がある。
◎「めぐり逢い紡いで」歌:大塚博堂
「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」の歌詞に登場する映画、
「ジョンとメリー」「卒業」の頃はまだ10代の高校生時代。
試験前だというのに、雑誌スクリーンを読んで映画館によく通っていた。
「卒業」は映画館で20回位観た記憶がある。
サイモン&ガーファンクルの音楽や、監督のマイク・ニコルズ作品にも注目した。
映画のラストで主人公は花嫁奪還に成功するのだが、
バスの後部座席で二人揺れる表情がうつろになっていくのが印象的だった。
この歌を俳優兼ミュージシャンの〈白竜〉が歌っていて、これが抜群に上手い!
◎白竜「-ダスティンホフマンになれなかったよ」を歌う
強面の顔で哀愁のある「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」を歌われると、
イメージを覆されて違う味わいを愉しめる。
1944年3月生まれで〈愛を唄う吟遊詩人〉として活躍していたが、
1981年に脳内出血で急逝、37歳だった。

▲顔に似ずロマンチスト?大塚 博堂さん
出身は我が第2の故郷、大分県別府市。
高校が大分県立芸術緑丘高等学校、東洋音楽大学 声楽科を中退。
芸術緑丘学校はオイラの出身大学の付属高校で、
出身者には懐かしいバリトン歌手の立川清登はじめ
元西鉄のピッチャー稲尾和久・スター歌手にしきのあきら、
デザイナー・作家・・俳優・演出家と多種多才なリリー・フランキー等がいる。

▲昔よくTVで歌っていた歌手立川清登さん
大塚 博堂の代表曲として、デビュー曲「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」
「過ぎ去りし想い出は」「季節の中に埋もれて」「哀しみ通せんぼ」
布施明も歌い競作になった名曲「めぐり逢い紡いで」、
高倉健も好きな「旅でもしようか」等がある。
◎「めぐり逢い紡いで」歌:大塚博堂
「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」の歌詞に登場する映画、
「ジョンとメリー」「卒業」の頃はまだ10代の高校生時代。
試験前だというのに、雑誌スクリーンを読んで映画館によく通っていた。
「卒業」は映画館で20回位観た記憶がある。
サイモン&ガーファンクルの音楽や、監督のマイク・ニコルズ作品にも注目した。
映画のラストで主人公は花嫁奪還に成功するのだが、
バスの後部座席で二人揺れる表情がうつろになっていくのが印象的だった。
この歌を俳優兼ミュージシャンの〈白竜〉が歌っていて、これが抜群に上手い!
◎白竜「-ダスティンホフマンになれなかったよ」を歌う
強面の顔で哀愁のある「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」を歌われると、
イメージを覆されて違う味わいを愉しめる。
Posted by 夜更かし中年隊 at 16:36
│人生いろいろ