2015年02月10日

新聞で甦った「田栗優一」さん

今日会社で開いた長崎新聞一面の〈水や空〉に、
我が人生の師で大先輩の〈田栗優一さん〉の記事が掲載されていた。



今月3日、早朝3時半に亡くなり翌日葬儀。
慌ただしい数日間だった。
いつかはブログに・・・と思っていたけれど気持ちの整理がつかず、
そのままでいた処だった。

会社入社の昭和49年、田栗さんは部課長職の上司として活躍されていた。
最初の頃は仕事絡みで、その後は公私共に多大に渡りお世話になった。
部下の中では、一番付いて回っていたのかも知れない。

広告部会の出張で高知や広島・福岡・愛媛・岡山・・・など回ったこと。
北九州や福岡で電車が縮小されたり廃線となる最終日には、一緒に撮影へ。
長崎線のJRレストランが廃止される時も、一緒に乗り込んだ。
校正ミスをおかしクライアントに頭下げに行き、EV内で怒られたこと。
書道師範だったので数人で習字を教わっていた頃もあり、
長男が誕生した時は命名札を認(したた)めて貰った。
(その長男も、早いもので今年30歳です。)


 ▲現役バリバリの頃の田栗さん

退職後NBC学園で書道講座を持たれていた時も、
午前の講座が終わると慌ただしく事務所を訪ねて来てくれ、
時間を惜しんで情報交換したりランチタイムを楽しんだり。
昭和13年まで小浜~愛野間を走っていた小浜鉄道の足跡を辿ったり、
お互いの誕生日には二人で祝ってた頃もあった。
もう数十年に渡る相撲同好会も7人いた仲間は4人になり、
田栗さん十八番の「北国の春」もたまに想い出しては歌っていますよ。
晩年には仲間と温泉行ったこともあったなぁ。
酒も強くウィスキーはロック、日本酒と刺身があれば上機嫌。
その優しい風貌で、飲み屋ではいつもモテモテでしたね。

病に倒れ入退院を繰り返し、リハビリ施設を転々としつつ8年半。
声も不自由になり身体も思うように動かず、
殆ど寝たきりでよく頑張りましたね。
病院で出会う奥さんや娘さん達の介護も、大変だったと思います。
見舞いに行くといつもニッコリ!と特上の笑顔で迎えてくれていた。
その笑顔を見る為に、月に一回程度会いに行ってました。
先月1月25日に伺った時は妹さん夫婦もみえていて、それが最期になりました。

・・・何だか田栗さんへの弔辞みたいになってきたなぁ。
カラー電車発案者としての仕事振りや鉄道ファン・書道師範としての実績は、
関係者の皆さんが重々ご存じだと思います。

これかも何かある度、田栗さんの想い出話に花を咲かせます。
葬儀にも出席できない程お疲れの奥様の様態が、
何よりも早く回復されるのを祈っています。

最期に長崎新聞の〈水や空〉を転用させて戴きます。

◎路面電車の生き字引だった田栗さん
http://www.nagasaki-np.co.jp/news/mizusora/2015/02/10101359016438.shtml

田栗優一さん、83歳。
いろんな思い、決して忘れません。




Posted by 夜更かし中年隊 at 18:12 │震える新聞記事

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アラカン(アラウンド還暦)世代。
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