2011年11月25日

「だんしがしんだ」んだ(ToT)

「オレが死んだら見出しは決まっている。“だんしがしんだ”」
とジョーク混じりに話し、「談志が死んだ」というタイトル本まで出版。
その立川談志が、ホントに死んじまった。
歯に絹着せぬ毒のある社会批評をする姿勢が、痛快で心地良く好きだった。

1936年(昭和11年)1月2日生まれの東京都出身、
昭和27年、高校中退後五代目柳家小さんに入門。
38年に真打ちとなり五代目立川談志を襲名。
江戸っ子風の威勢の良さと、毒舌を放つ異端児として人気落語家になった。
才気にあふれた古典落語家として天才と称されるが、
突っ張った生き方や破天荒ぶりで社会に挑み続け、反逆児としての姿勢を貫いた。


 ▲突っ張りの姿勢の裏には、照れ屋の顔もあった

日本テレビの人気番組「笑点」の企画者の一人で、
1966年5月からスタートをした初代司会者を務めていた。
無類の歌謡曲ファンで青春時代は歌声喫茶に通いつめ、ディック・ミネのファン。
「談志絶唱 昭和の歌謡曲」を出版したり、
1967年キングレコードから立川談志&笑点グループで歌う「笑点音頭」を発売。


 ▲「笑点」初代メンバーの懐かしい顔も・・・

ハリウッド映画やフランス映画・MGMミュージカルが好きな洋画ファンでもあり、
「ステキな金縛り」の三谷幸喜監督同様、ビリー・ワイルダー監督を敬愛していた。
「天才とは、レオナルド・ダ・ヴィンチと手塚治虫のことを言う。」程の手塚治虫ファン。

1969年に衆議院選挙に無所属で立候補したが落選、
1971年の参議院選挙では全国区で50人中50位の最下位当選。
インタビューで「寄席でも選挙でも、真打は最後に上がるもんだ。」と粋がった。

「いろんなことをやっているのは、全て寄席に客を呼ぶためだ。」と話し、
行動は行き当たりバッタリ!のようでも、落語に対する人一倍の愛情があった。



2008年5月に喉にポリープの疑いで検査し喉頭癌が見つかり、
2011年3月の「立川談志一門会」での「蜘蛛駕籠」が最後の高座となった。
数年前長崎で開催された「立川談志落語会」を聴きに行ったが、
病気の為か声に張りも無く、往年の話の切れ味も元気も無く心配になった。
2011年11月21日家族に看取られて、75歳で死去。
死去の報は、一門の弟子たちを含む落語界・芸能界・知人の誰にも伝えなかった。

毒舌が何処か共通するツービートを「面白い!」と真っ先に認めたり、
爆笑問題がデビュー仕立ての頃、才能を直ぐに見抜き高評価していた。
「太田は俺がよそで作った子供だ。」等とも発言。
その太田光は、「談志の落語には、エクスタシーを感じる。」と論じ、
弟子の中には「人格は最低だが、芸は最高!」と評する人もいる。

発想が柔軟で独特の存在感があった「繊細な心を持った暴れん坊。」
反逆児としての姿勢を終生貫いた談志の魂は、
弟子や敬愛する人々の心の中でこれからも行き続ける。





Posted by 夜更かし中年隊 at 01:13 │人生いろいろ

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アラカン(アラウンド還暦)世代。
親父の立場や経験から、
独り言・視線・つぶやきを交えながら
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