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Posted by のらんば長崎運営事務局 at

2012年06月26日

小久保選手、ワイルドだぜ~!

記念の試合は勝利で飾れなかったものの、
8度の手術と怪我を乗り越えてのソフトバンク小久保裕紀(ひろき)選手、
史上41人目の通算2000本安打達成の金字塔の裏で、
いろんな感動する話・泣けるエピソードが花を添えている。



1971年10月8日生まれ、和歌山星林校から青山学院大へ。
主将として初の大学野球日本一に貢献し、
1992年大学生で唯一バルセロナオリンピック野球日本代表に選出、銅メダルを獲得。
ドラフト2位で福岡ダイエーに入団、その後巨人へ「無償トレード」。

巨人在籍中に見た、恩人王貞治監督の映像と胃がんの告白。
「恩返しは今しかない!」と古巣ソフトバンクへ復帰。
8年ぶりの日本一に貢献し、日本シリーズMVPを獲得している。
「偉業達成は、〈心技体〉今までの頑張りの賜物。
 名球会のグリーンジャケットは僕が着せます」と、王会長からの温かい言葉。



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遠い将来の夢は、「高校野球の監督として甲子園に出場することだ」と言う。
何故か?

ダイエー入団時の打撃コーチで、小久保にとって野球と人生の師・は高畠導宏さん。
高畠さんは教師の資格を取り、59歳で初めて教壇に立った。
夢は監督としての甲子園。
しかし、その矢先の1904年7月膵臓がんで60歳で逝去。
「その恩師の夢を継ぎたい」という小久保選手。
夢は見続ける限りきっと近付き、そして叶う!


 ▲多くの夢が終結する高校野球だから、ドラマが生まれる

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ひとり親で育てた小久保選手の母親の記が、これまた泣かせる。

野球を始めた頃は「行きたくない」と柱にしがみつき、泣きじゃくった小久保選手。
野球を通じて仲間意識も芽生え、社会のルールや厳しさを学んだ小久保選手。
そんな小久保選手に母親として一番掛けたい言葉は、
「おめでとう」ではなく、「裕紀、お疲れさん」。

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「長くやってこれた背景に、松中信彦選手の存在があった。いいライバルに巡り合えた」
「逆境の時こそ、生き様の見せどころと言う考え方もある」

逆境こそが、小久保選手をここまで育てたのかも知れない。
「逆境を乗り越えるには、あえて貧乏くじを引くという生き方もある」

  


Posted by 夜更かし中年隊 at 05:45人生いろいろ
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夜更かし中年隊
アラカン(アラウンド還暦)世代。
親父の立場や経験から、
独り言・視線・つぶやきを交えながら
世の中を笑い飛ばして行きます。
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