2012年01月13日
「ぎなた読み」から「変換ミス」へ
今日は、朝からラジオで勉強。
「ぎなた読み」。「なぎなた」からの語源らしい。
「弁慶が、なぎなたを持って」と句切るべきところを、
「弁慶がな、ぎなたを持って」と誤って句切りを付けて読んだという昔話から
文の句切りを間違えて読むこと。
転じて、句読点の大切さを説いたもの。
「ここではきものをぬぐべし」は、
「ここで、履き物を脱ぐべし」にも「ここでは、着物を脱ぐべし」にもとれて
これは、一休さんの逸話にもなっている。
数珠屋に「ふたえにしてくびにかけるじゅず」を注文し、
「二重にして、首にかける数珠」と読んで非常に長い数珠を作ったが、
実際に注文したのは「二重にし、手首にかける数珠」だったというオチ。
「わたしはいしゃです」が、「私は医者です」や「私歯医者です」になったり、
「ぱんつくってまってる」が「パン作って待ってる」「パンツ喰って待ってる」と、
最近ではパソコンの「面白変換ミス」が話題になりますが、
ルーツは意外とこんな処にあったんですね。
ちなみに、昔こんな記事書いたのを思い出しました。
「ああ勘違い、漢字違い」
http://hayaoki1951.noramba.net/e195916.html
「メビウスの輪」の如く、世の中も創っては壊し、壊れては繰り返し再生され
巡り巡っているのかも知れないなぁ・・・と、ふと思う。
長崎駅前・横断歩道界隈の店で、こんな看板?見っけ!
世知辛い世の中になったもんです。
「ぎなた読み」。「なぎなた」からの語源らしい。
「弁慶が、なぎなたを持って」と句切るべきところを、
「弁慶がな、ぎなたを持って」と誤って句切りを付けて読んだという昔話から
文の句切りを間違えて読むこと。
転じて、句読点の大切さを説いたもの。
「ここではきものをぬぐべし」は、
「ここで、履き物を脱ぐべし」にも「ここでは、着物を脱ぐべし」にもとれて
これは、一休さんの逸話にもなっている。
数珠屋に「ふたえにしてくびにかけるじゅず」を注文し、
「二重にして、首にかける数珠」と読んで非常に長い数珠を作ったが、
実際に注文したのは「二重にし、手首にかける数珠」だったというオチ。
「わたしはいしゃです」が、「私は医者です」や「私歯医者です」になったり、
「ぱんつくってまってる」が「パン作って待ってる」「パンツ喰って待ってる」と、
最近ではパソコンの「面白変換ミス」が話題になりますが、
ルーツは意外とこんな処にあったんですね。
ちなみに、昔こんな記事書いたのを思い出しました。
「ああ勘違い、漢字違い」
http://hayaoki1951.noramba.net/e195916.html
「メビウスの輪」の如く、世の中も創っては壊し、壊れては繰り返し再生され
巡り巡っているのかも知れないなぁ・・・と、ふと思う。
長崎駅前・横断歩道界隈の店で、こんな看板?見っけ!
世知辛い世の中になったもんです。